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推薦文
「雪の中の少年」

「ちょっと心臓が疲れていますね」
私が栄一先生から言われた第一声です。
私が栄一先生とお会いしたのは、岩手県二戸市にある緑風荘という旅館でした。
私の肩こりや頭痛が酷い事を知っている知人が、「ちょっと見てやって もらえませんか?」と私を指さし、栄一先生に尋ねたのです。そして、帰ってきたのが文頭の言葉です。
その言葉を聞いた時、「なんのこっちゃ?太っているから心臓が疲れてるのかな?」位にしか思っていませんでした。その後、しばらく経ってから栄一先生が「よろしかったら、施術しましょうか?」と知人に言ってくださり、私はよくわからないまま施術を 受ける事になりました。
「整体かマッサージを受けるくらいだろう」としか思っていなかったの ですが、全く違うものでした。栄一先生は、最初に身体的な施術をしてくださいました。
その後、布団に横たわった私に、「それでは、イヤだった出来事などを 思い浮かべてください」とおっしゃいました。「?!」これまでに受けた整体やマッサージでは言われた事のない言葉 です。
頭の中は、思いもしない事をいわれ、軽いパニックです。しかし、イヤな出来事には事欠きません(?)ので、早速、職場の腹の 立つ同僚や、出来事を思い浮かべてみました。すると、その同僚の顔が段々小さくなっていくのです。思い返すたびに映像が小さくなり、音声も聞こえなくなってきました。さらに、次第に色が消え、白黒になっていきました。その間、栄一先生は、私のお腹や胸、おでこなどに手を当てています。白黒になった同僚は、いよいよ小さく遠ざかっていきました。それと同時に、その同僚に対するイライラが消えていきました。施術が終わった後、心に波風1つない穏やかな気持ちになっていたのです。
帰りの列車の中、得も言われぬ幸福感に包まれた私がいました。もう、眉間にシワなんて寄せられない。職場に行っても、昨日まで嫌いだった人と笑顔で話ができる。「この幸福感に包まれて生きていけたらどんなに幸せだろう・・・この気持ちのまま生きていきたい」と、心から思いました。それまでの私は、毎日出会うのは嫌いな人ばかりで、軽蔑と嫌悪に包まれて生きていました。その結果、肩こりや頭痛にさいなまれてきたのです。「心臓が疲れている」というのは、愛するハートが疲れ、愛する事ができなくなっているということだったのです。
周りを愛する事ができるようになった私は、毎日が幸せでした。特になにがあるわけではありません。ただ、何となく幸せなのです。もちろん、肩こりも、頭痛もすっかり無くなってしまいました。
毎日、笑顔を携えて生活しています。そのことを、正美先生にメールで伝えると「理由無き幸せを手に入れましたね」と言われました。
そうして、幸せな毎日を過ごしておりましたが、次第に1つの不安 が・・・。それは、「いずれ元に戻ってしまうのではないか」というものでした。というのも、時間の経過と共に、今度は違う同僚に対して軽蔑を抱くようになりました。また、先の同僚にもイライラがよみがえってしまったり。心と体は直結しているのですね。そうなったとたん、消えていた肩こり や頭痛の症状が現れ始めました。「あの頃の自分に戻りたくない!この心を持ち続けたい」その一心で、再び横山先生の元へ行ったのです。私は、北海道在住です。埼玉へ行くことは、結構たいへんなことです。でも、私にはそれだけの価値がありました。
2回、3回目の施術では、根本からの治療となるのでしょうか、正美先生とのカウンセリングから始まりました。父が厳しかった事、そんな父が嫌いだった事。そんな話をしている間に、正美先生から「おばあさんがサポートに来てくれている」そして「10歳くらいのかとちゃんが泣きながら謝っているのが見える」と言われました。その言葉を言われた時には、ピンときませんでした。しかし、父と祖母に関する記憶をたどって行くと、一つの記憶が呼び起こされてきました。
〜もう、何年前のことかも思い出せない昔の話〜
お正月に祖父の家に行った時に、祖父と父が言い争いの喧嘩をしました。
怒った祖父が父に向かって「帰れ!」と言い放ちました。祖父に追い立てられるように帰ろうとする私たち一家を、祖母は努めて明るく外まで見送ろうとしていました。そんな祖母を気遣う父は家に入るように言います。父は母に車を出すように言いますが、母は祖父と祖母を二人にすること が不安だったのでしょう。祖母を残していって大丈夫か?家に連れて帰ったほうがいいんじゃないか?と父に言っています。祖母は泣きながら笑顔で「自分は大丈夫だから、帰りなさい」と。僕と弟はよくわからないまま不安で成り行きを見守っていました。そのうち、言う事を聞かない母に父が怒り出し「車を出せと言ってるだろうが!!」と運転席の母の頬を叩いたのです。 今度は、母が激怒です。「なんで私が叩かれなければいけないのさ!」と車から降り父に怒りをぶつけます。弟は父と母が言い争いをしているのを見て泣き出します。祖母は、雪の上に身を投げ出して号泣です。その場をなんとかできるのは私しかいませんでした。私は弟を車にのせ、雪の上に横たわっている祖母を起こし、父と母の仲裁をして帰路につく事が出来ました。帰りの車の中でも弟は泣いていますし、父と母は険悪な空気です。家についたとたん、私と弟は逃げるように部屋に戻りました。・・・でも、それだけのことです。
正美先生に言われて、記憶の片隅にほこりをかぶっていて、ものすっごい必死になって思い出してやっと思い出したことです。これがどういうことなのか、どんな意味を持っていたのかよく分からないまま北海道に帰ってきました。
北海道に戻った後に思い出したことがありました。
上の件の1週間後くらいでしょうか?祖母から電話がありました。はじめは、母と話をしていたんですが、その後私が電話にでると、祖母は「これからの人生いろいろあるだろうが、がんばるんだよ」としきり に言っていました。私は、それを聞いてただ泣きながら「うん、うん」としか言えなかったことがありました。このとき、自分が何を思い、考えていたのか思い出せないのですが、何もできなかった自分が情けなく、祖母に申し訳ないという気持ちがあったのかもしれません。今思えば、あの件以後、祖母は私の事を他の誰よりも気にかけてくれていたのではないだろうか。そんな気がします。
そして、先日4回目の施術となりました。やはり、正美先生とのカウンセリングを受けました。
話は前後しますが、私は、養護学校で教員をしております。詳しくは書けませんが、私が受け持っている生徒の中にパニックをおこす生徒がいます。いったんパニックになると「ギャーギャー」と泣き叫び、辺り構わず叩いたり噛みついたりするのです。先日も腕を噛まれ、病院に行きました。なだめてもなだめても、ばんばんと叩いて、噛み付いてこようとする生徒に思わずカッとなることも少なくありません。そんな生徒ですから、その生徒の事を思い出すだけで呼吸が浅くなり、体に変に力が入るのです。そんな事をお話ししました。そして、施術を受ける時に正美先生から「その生徒のことを思い出してごらん。思い出して、かとちゃんがカッとなったら、昔のお父さんの事を交互に思い出して」と、言われました。言われたとおりその生徒の事を思い出す事から始めました。自分がカッとなったところまで思い出したら、母の頬を叩いた父の事を思い出しました。
その間、無意識のうちに体に力がはいったり、呼吸があさくなったりしました。栄一先生から2度ほど声をかけられましたが、その生徒や父のことが小さくなったり、白黒になったりすることはありませんでした。施術開始から何度、その生徒の顔を思い浮かべたでしょう。
突然、その生徒の泣き顔があの時の自分と重なったのです。その瞬間、パッとある思いがひらめきました。
「この子は俺だ!あの時の俺なんだ。俺は、あの時泣きたかったんだ!!」
あの時泣きたかった。でも、その場を何とかできるのは自分しかいなかった。だから泣けなかった。胸からみぞおちに何かがフッと動きました。文字通り「腑に落ちる」というやつです。
その後から施術が終わるまで意識はしていなかったのですが、体の力が 抜け、呼吸も安定していたそうです。施術が終わり「では、このまま10分ぐらい休んでいてください」 栄一先生はそう言い残し部屋から出て行きました。部屋に一人残った私は、心の中で生徒に話しかけました。
「君は先生(私)だったんだね。先生はあの時泣きたかったんだよ」
そう話しかけていると、うっすらと涙が流れてきました。あの時流したくても流せなかった涙が、何十年の時間を経て出てきました。10分ほどしてから栄一先生と正美先生が入ってきました。「あの生徒は私でした。私はあの時、泣きたかったんですね」と伝えたら、正美先生は飛び上がって喜んでくれました。私の魂は、あの日雪の中に置いてけぼりをされたのです。
もし、栄一先生、正美先生に会わなければ、いつまでもいつまでも一人ぼっちで泣きながら立ちすくんでいたことでしょう。
正美先生から「『愛を与えるひと』は、まず『愛を受け取ること』を学ばなくてはなりません。」と、教えられました。
私は、私の魂を迎えに行きます。父からの愛を受け取り、人に愛を与えられるひとになれるように。
これを読んでいるみなさんへ
あなたは私です。あの生徒が私だったように。私と同じ気持ちになった 事はありませんか?
私はあなたです。私があの生徒だったように。私と同じ気持ちになりたいと思いませんか?
ほんの少し、私を信じてくださいませんか?あなたが、私と同じ幸せを手にするために・・・
北海道 教員 加藤達也
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