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ごあいさつ

わたしは小学生の頃、跳び箱からおちて股関節をいため、五ヶ月も歩行ができなくなるという大怪我をしてしまいました。病院や接骨院などどこへいっても治らない。車いすにのる不安な日々が続きました。誰も治してくれないのなら自分でやってみようと股関節に意識を集中しました。子供ながらに治したい一心でイメージを送りました。すると骨が動き出し、痛みはとれてすぐに翌日には学校にいけるようになったのが私の施療の原点だと記憶します。電気関係の会社の後継者として産まれた私は、工学系の大学をでて父の会社に勤め始めました。幼い頃から後継者として会社での目に見えぬ期待は重荷となり、期待に答えたい気持ちが空回りしながら夜も遅くまで働きました。仕事が終わってからの社外活動は自分の身体を酷使しあげくの果てに交通事故に 7 回もあってしまいました。本当に苦しい時期でした。事故の後遺症や過剰なストレスから首、腰、足、体中が痛くてあらゆる施療を受けましたが治らない。自分の身体をどうにかしたくて仕事が終わると施療家の学校に通いつめました。その時、あらためて小学校の頃を思い出し、本当に自分がやりたかったことは、「苦しむ人を助けたい」「人を癒す」ことだと確信したのです。
私は、家族の反対を押し切り家を出ました。会社を辞めることは小さい頃から会社を継ぐことが当たり前として育てられた私にとって親子の縁まで放棄しなくてはらなかった事でした。だから私は「死」をも覚悟しながら世界中を飛び回り、あらゆる施療の学問やテクニックを学びました。そして十年前、やっと小さな施療院を開院し「一人一人心をこめて施療します」という理念のもと毎日、患者様を施療しつづけました。評判は口コミでひろがり沢山の患者様が施療を受けに来てくださり喜んで下さいました。
ところが、痛みに苦しむ患者様を助けられてましたが、どんどんと私は体調を崩してしまいました。無理がたたり不整脈、全身の痛みと機能低下、とどめは緑内症の進行。「人を救う」とことはまず自分を全力で救済しなくてはならない。そんな時、妻と知り合い、パートナーとともに自分と向き合う時間をもつため施療を全面休止。まず、原点にもどり、滞っている両親との問題にとりくみました。そしてどんなに自分が傲慢だったかに気付かされたのです。
「人を癒す」とは傲慢であっても自己犠牲あってもなりません。全力で自己救済ができたものだけが人を救えることを知りまた、真理を探究する過程で自分が両親や仲間、自然、地球、宇宙に「生かされてる」すばらしい存在だということを知ったのです。
今、愛する妻とかわいい子供達に囲まれ自分の人生を歩き始めたところです。身体の弱かった妻ために、どうしたら早く苦しみから開放してあげられるかが施療への研究を加速させました。「愛する人を救いたい」と思える情熱こそが命を輝かせてくれます。それが患者様の施療に生かせるのですから私は本当に恵まれています。施療家の数だけ施療があるように、自分の中にある経験と能力は施療家の生き方そのものだと思うのです。今、自分の幸せを実現した私の使命は、この天から与えられた能力を最大限に生かしきることです。
略歴
1991 神奈川大学工学部、電気工学科卒業
1992 株式会社 ユーシン工業入社
1997 退社
その後海外、国内であらゆる臨床理論、実技、医学知識、哲学を学ぶ
新整体スクール講師を務める
上里整体院(現・横山総合施術院)を開院
1998 日本手技療法学院講師を務める
いそ整形外科医院 リハビリ科部長を務める
上泉整体院を埼玉県本庄市若泉に移転。
1999 いそ整形外科医院 退職
2007 上泉整体院を埼玉県熊谷市に移転。横山総合施術院と改名。
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